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運河にて
今日は学部時代の同期の修士設計講評会へ。
途中筑波エクスプレスの開通により野田線に駅が増えている事に驚きつつminoruと運河へ向かう。
少々ゆっくりしすぎて他研究室の発表は1/3しか見れなかったが、コジ研の発表には間に合った。


近頃、理科大(理工)と横国との設計に対するスタンスの違いについて考えさせられる事が多い。今日もこの事についていろいろと感じるものがあった。

横国生は基本的に模型を上からみることが多い。とても俯瞰図的。
そして理科大生は模型をのぞきたがる。すぐアイレベルでパースを確認したがる。
ちょっと極端かもしれないけどとりあえずそんな違いがあると思う。

卒業設計に何を設計したのかという問いに対して、横国生は一言で何を設計したのか答えられない人が多いのではないか。しかし理科大生は「美術館」「図書館」「学校」「集合住宅」等と大部分が答えるだろう。

横国4年生の方が理科大M2よりも空間的に広く都市的なレベルで物事を考え、大きな範囲を設計の対象にしようとする。
理科大生はある一定の街区の中で完結しうるモノ、例えば1つのプログラムを徹底的に詰めていく傾向がある。
それは修士の学生になっても変わり得ない事だった。そして理科大の修士設計はいい意味でも悪い意味でも卒業設計の延長のようなイメージをぬぐい去る事は出来きていなかった。あまりに型にハマりすぎる人が多かったのではないか。


しかし今回の講評会では例年にはなかった変化が見られた気がした。

相変わらず1つのプログラムを相手にして、それを丁寧に設計していくという手法を取っている人はいる。その一方で環境を造ると言って東京のど真ん中に山造っちゃう人。島を設計しますと広範囲な敷地を相手に非常に綺麗な景色を造っちゃう人。模型は産業廃棄物の固まりみたいだけど、パワーのあるプレゼンテーションで会場中の目を釘付けにしちゃう人。
それらの作品はみなオリジナリティに溢れ、強い思想や思い入れのある作品ばかりで、なんか今までに無かった種類の作品が見られたのがとても良かった気がする。とても理科大らしい新たな方向性が垣間見られた。そして同期はみんないい意味で卒業設計の時と変わってないなぁという部分を残しつつ、パワーアップしていた。


建築物単体を丁寧に設計する事は大切な事だし、そのような方法を否定する気もないけれど。
でも提案される全ての作品がそのような建築物単体として簡潔してしまって、全体的に変な画一性を持ってしまうのはあまり良くない気がしていたのは確かな事で。
このような見方は外の環境に身を置くことで得る事が出来たもので、僕にとっては非常に貴重な財産であると思う。

しかしそのような考え方が理解できた所で自分の設計におけるルーツが簡単に変わるものではない。でも今まで積み上げてきたモノと新しく得たモノとをうまい事混ぜ合わせるのもなかなか難しいわけで。

僕たち理科大理工出身の学生は、入学したての学部1年時に段ボール箱に穴をあけて中をのぞくという空間設計の課題を経験している。その時の経験をいまでも引きずりながらそのしがらみから逃れられずにいるのではないか。最近そんな変な疑問を抱いていただけに今日の講評会はとても刺激的なものであった。そしてそんな同期の成長を目の当たりにして、自分はこの2年近くの間何をやっていたんだ、という感情が少しだけ湧いてきた。
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by shimpei_ymsht | 2006-02-15 02:20 | 建築
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