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足下もちゃんと見ないとね
この土日、センター試験のおかげで大学から閉め出されて家で論文作業をやるはめに。しかし研究室に自分の机をもってからというもの、家でくつろぐ以外のことが全くと言っていいほどにできない人になってしまったのです。この状況、論文進行状況に大きく響くに違いない。今もこうしてブログの更新なんぞしているわけで。本論提出10日前にもかかわらず危機感がどうも足りてないわけで。それでも作業を放り出すわけにもいかず。どうにかこうにかボチボチと進めておりますが。家に居ることが逆にストレスになってないか…?



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先週、論文の敷地調査という名目でひさしぶりに青山をウロウロして、初めてちゃんと訪れたフロムファーストの公共性の高さには感心してしまった。プラダとフロムファーストの違いは何なのか。どちらも同じように店舗空間以外のコモンスペースをそなえているのにね。

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話しは変わりますが、やはり僕にとって青山プラダは、特別な建築の1つらしい。これはけっこう前から気付いていたことだけれど。横浜にくることで得たものの大きさみたいなものを、この建築を見ているとひしひしと感じてしまうのだ。執筆中の論文のテーマも青山プラダに対する興味が決定要因の1つなのです。それにしてもこの建築、見に行くたびにビルの方を見上げて写真を撮ってる人はよく見るけれど。足下の空地ばっかり観察している人はあまりいないんだよね。ま、あたりまえか…。青山プラダの足下にある空地、はたしてこの空間に「公共性」はあるのかどうか。そろそろ白黒つけないとマズイのだ。

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青山プラダを見るときは、ボケーッとビルを見上げていて左端のコケを踏まないようにしましょう。
プラダのドアマンがちゃんとドアを動かないように留め金をしてから注意しにきます。今回このポジションで敷地を観察中も、おそらく建築学生であろうカメラ小僧が何人か「お客さま〜」ってやられてた。

「あ!!言われるよ、言われるよ……ほら言われちゃった〜」って黙って見てるのも面白いけど。
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by shimpei_ymsht | 2007-01-20 22:27 | 建築
緑園都市
先週なかばの事。論文の事例研究と称して緑園都市へ見学にいってきた。
和田町から相鉄で一本。案外近い。現地でminoruと待ち合わせをする。

緑園都市/山本理顕設計工場
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「全体の計画をまずつくって、その計画にしたがって個々の建築を制約していくという方法ではなくて、建築が次々に連続していくときの、その連続のための因子を、自分の中に持っているような建築が考えられればいいわけである。方法としてはきわめて単純な方法なのだ。全体計画など決めないで、それぞれのオーナーの都合で勝手に建築をつくることにすればいい。ただし、その建築は接続の因子を自分の中に持っているような建築である。〈通り抜けの道〉が、いわばその“因子”である。」山本理顕

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商業的な賑わいという点では疑問が残るものの、通り抜け通路とそれをつなぐ階段、街路側にせり出した動線、大きな抜けの空間、所々に見られるブリッジなどが都市と建築の関わりという点でその役目を果たしている。外観は全体的に金物を多用したメカニカルな工場のようなハコの上にGAZEBOから一連して見られる仮設的な屋根がのっている感じ。北山さんが新建築の月評で言っているように、上に住む場所、下に公共空間を持つ表参道ヒルズが「公共という主題」で示されるものとするならば、GAZEBOでは「住むこと」にその主題がおかれていると言える。同様の構成を持つ緑園都市での主題はどちらにあるのか。空間を一通り見た限りだといまいちはっきりと感じ取れない。

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代官山ヒルサイドテラスのように通りの両側にわたって統一された計画がなされていて、谷間にある駅を挟んだ一体的な風景が出来上がっている。相鉄が緑園都市駅一体の計画を山本理顕に任せる事で実現した風景である。しかし所々に見られる“因子”に繋がりが見られないのが少し気になる。右の写真がその典型的な例。通り抜け通路の奥には貸し倉庫。建て主、相鉄不動産。建築家の意図が見事に裏切られている。下階の通り抜け通路を接続因子とした部分がコンセプトであるにも関わらず、どちらに主題があるのかはっきり感じとれなかったのは、こういうところに原因があるのかもしれない。
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by shimpei_ymsht | 2006-12-28 20:38 | 建築
建てるだけが建築じゃないんです
Louvre-Lens/SANAA@GA gallery
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近頃はベクターに触れる事もなくもっぱらワードと格闘、活字と格闘。そんな毎日。
先月末ココラボの打ち上げで真壁さんがおっしゃっていた
「建てるだけが建築じゃないんです云々」という言葉(若干意味の違いはありますが)を思い出しつつ
自分、今、建築やってる。建築やってるよーーー!!!とテンションを高めて作業に取り組む日々。

そんな中、先日訪れたGA galleryにて
修士設計では卒制の時みたいにデッカイ模型でなくてSANAAみたいに力の抜けた模型提出してやりたいなぁ
と展示を見ながら考えた。まだ設計にするかどうか決められてないけどさ…。




表参道ヒルズ/安藤忠雄建築研究所
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竣工からだいぶ経ちますが今回初めてちゃんと中を覗いてきた。
ピカピカというかギラギラした内装が……。ホール上部につられた音響設備が……。
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今年は安藤建築に触れる機会が多いけどまだ夏に見た地中美術館を超えるものには出会っていない。地下の大階段の印象は思っていたイメージと若干のズレ有り。安藤さんは「都市に住む人々の生活と密接に関わる商業建築には、公園のようにいつでも誰でも利用可能な公共性の高い空間があるべきではないのか」と今まさに僕が考えているような事を20年も前に主張していた。この大階段にはもしかしたらそんな公共性があるかもしれない、なんて事を少し期待しながらの訪問だったけれど。そう簡単にもいかないようで。ホールを覗いてから復元された旧同潤会アパートの方を見たけど、全然古い空間のほうがいいなぁと思ってしまった。
はたして表参道は滞在するための都市空間か、通り過ぎるための都市空間か。斜路に面したベンチに人々が座り込む光景には表参道の質がうまく引き込まれている気がする。大階段よりもこっちのベンチの方が公共性が高い場所だと言えるのかもしれない。
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by shimpei_ymsht | 2006-12-05 04:01 | 建築
建築家が建てるということ
建築家が建てた建物は使いにくい。
まぁこれはよく聞く話。

先日の建築ツアーで前川國男設計の公共施設を訪れたときのこと。
係りの人がしきりに話してくれたのは、
その建築の問題点(使いにくさと言ってもよいか)がほとんどだった。


まだ建築を学び始めた学部1年の頃
建築を訪問して感じた事をレポートするという講義で
「デザインが良くても使いづらいのはいかがなものか・・・」
という話をして講師の人に一蹴された事を思い出す。
その時は何か釈然としないまま
そういうものなのか? という疑問だけが残った。


今でもこの問題にはっきりと答えが出せたわけではないが

「デザインが利便性を超える瞬間」

そういう瞬間はあり得るんじゃないかと考えるようにはなった。
たとえそれが一時的な価値だったとしても。

そういう所のみに建築の価値を全ておわせてしまうと
たぶんそれは出来そこないのアートみたいなダメ建築になるんだろうけど。

特に公共建築などにおいては
一時の訪問者と毎日そこで生活している人、運営している人の温度差なんかもある。
様々な視点から検証する事でしか建築の善し悪しなんて評価できないし。
施設を運営する側にとって良くない=一般の人達にとっても良くない
という等式がすぐに成り立つものでもない。


ただ公共性という言葉が持つ意味は
単に使いやすいなんて部分だけに収束するはずがない。と思う。


ん〜こういう考え方って建築をつくる側のエゴなのか・・・?
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by shimpei_ymsht | 2006-09-03 19:54 | 建築
潜入!!
レポート書くのにも飽きてきたし、あややから要望もあったようなのでこの興奮が冷め切らない内に日記にしたためておきたいと思います。
たしかあれは先週の半ば辺りだったでしょうか。あややによるN沢さんへの強引なぶっこみにより本日のM邸見学会が開催されることになりました。とりあえずあややに感謝!見学会のメールがまわってきた時に「絶対行きます!」と即答してから相当楽しみにしていましたから。


昼過ぎに最寄り駅で待ち合わせ。全員でホワイトソックス&グローブと住人へのお土産を購入、準備万端で意気揚々と乗り込む。13時過ぎ現場到着。

まずその佇まいにやられる。
「白っ!」「小っさ!」思わず口からこぼれ落ちた言葉です。
建築というモノは2次元の紙媒体に落とし込まれる事でどれだけの情報を失っているのだろうか。この瞬間そんな疑問が頭をよぎる。多くの建築作品の場合、写真や図面をそれなりに見ておけば、頭の中で実物とのギャップを修正することはそれなりにできると思う。しかしそうできない作品も数多く存在する。このM邸もそのような作品に分類できると思う。
現在日本で建築を学んでいる学生に大きな影響を与えたであろう(いい意味で)問題作。その特殊な配置から生まれる奇妙な距離感と狭さ、その心地よさは現場に行かないと理解しがたいのかもしれない。

まるで生活の全てを世にさらけ出せと言わんばかりに開け放たれた大きな開口の数々。まだオーダーしたカーテンが届いていないらしく中が丸見えの部屋も多々あった。しかしそのような内部空間の開放から生まれる外部空間の透明性みたいなものがこの小規模な部屋の集積群に豊かさを与える。部屋から部屋へと移動する人々、棟から棟へ移動する人々。普通の賃貸アパートで住人の姿を見かけることはほとんど無いと言って良い。しかしこの建築では敷地の内部を動き回る人々の姿が見えて、消える。見える、消える。楽しすぎですよN沢さん。
見える事と見えない事のバランスが良い、気がした。周囲の既存も含めて対面しないことを前提に位置を決めていった(N沢氏談)という開口位置の規則性は消失しているといってよい。豊かな外部空間を創るというコンセプトのもと創られたこの住宅。所々に配された開口から見える多くの生活はこの庭を彩る道具であり、そのような庭をもつことで中での生活も豊かになる。まさに相乗効果ってやつ。住み始めた住人達によりガーデニングも進行中で、ますます楽しい庭になりそうな予感です。

そして頭が天井に当たってしまうくらいギリギリのスケール。この小ささが空間に不思議な領域感を創り出している。ある程度手が届く範囲に全てのモノが収まっている感覚と言えばいいのだろうか。それぞれの部屋に入ってもすぐに自分の場所を確保できる感じ。敷地内がヒューマンスケールで満ちあふれているんです。棟と棟の間の空間も決して広いとは言えません。でもその狭さが心地良い。

しかも今回の見学会、作品見るだけでも興奮するのに、雑誌の取材などとかぶっていたため日本の建築界を引っ張る建築家の人々がめちゃくちゃ集まってきてて、もっと興奮してしまいました。N沢さんにはじまり、Sさん、Iさん、K兄貴、Cさん、Kさんなどなど。そうそうたるメンバーが10人前後いたのかな。人が人を呼び寄せている状態。これから建築シンポジウムでも開くつもりかってくらいでした。
しばらくちゃんと建築作品を見るという目的で訪れることをしていなかったので、楽しすぎる訪問だった。デジカメのメモリを全て使い切るほど写真取りまくったし。


とりあえず今はこんな感じ。誉めてばかりの長い駄文になったけど、あまりの空間的楽しさを経験した後なので批判などできる状態ではありません。できればこの経験を他の人にもと言いたいのだけれど場所は絶対言えません。M邸がショールームになってしまったら台無しだしね。なにより僕がこの業界で飯を食っていけなくなりますので。
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by shimpei_ymsht | 2006-01-28 23:23 | 建築



日々の生活の中に無限の広がりを求めて      by real flatness
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